■臭くて汚くて誰もやりたがらないグリストラップ清掃。それが私の仕事。
ある飲食店での出来事です。その時私は、いつも通りに厨房の床下にあるグリストラップを清掃していました。ご存じだと思いますがグリストラップの中はヘドロの塊です。見た目もかなり汚いですし、ひどい悪臭がたちこめます。ですので、飲食店の閉店後に作業することが多いわけです。その日はちょうど閉店間際でしたので、お店の従業員の方が今から帰ろうとしていたところでした。そして私が作業している姿をみて背中越しにこんな声が聞こえました。“ウワ~ッ、クサイ!あの人ってあんな仕事、よくできるよねェ~”。人によってはちょっとカチンとくるかもしれないこの言葉、実は私は心のなかで自慢げにこうつぶやいてました。“そうやろ。こんな仕事、俺にしかできんめぇ…”。
グリストラップというのは、業務用厨房に設置する排水槽のことです。名前の通り、「グリス(廃油)をせき止める(トラップ)」のがグリストラップの役目です。さてここでは、親父が始めた会社を、私がどんな経緯で引き継ぎ、日々どんな気持ちで仕事に向かっているかをお話しします。ちょっと長くなりますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
■典型的な“おぼっちゃま”だった小学校時代。それが元でイジメにも…。
僕が生まれたのは1982年(昭和57年)で、その年に親父がこの会社を法人化しました。日本はこれからバブル期を迎えようとしていて、すべてがのぼり調子だった頃です。そんななかで僕は社長の一人っ子として育てられましたから、まさに絵に描いたようなボンボンでしたね。小学生なのに靴下はラルフローレン、セーターはイヴ・サンローラン。しかもパンツはワコール(笑)。気弱な性格で、イジメられても相手に向かって行けませんでした。でも、小4の時に幼馴染みに誘われて始めたバスケットが性格を変えてくれました。私は小6の時には、身長が170cmになるくらいでしたから、チームの中ではかなり活躍できたんです。バスケットで鍛えられたおかげで性格的にも強くなり、イジメてきた相手にも向かっていってケンカができるようになったんです。その時のケンカ相手は今でも良い仲間です。
■自信があったバスケだったのに、高校への特待生入学を断念…。
中学2年で身長が180cmあった僕は、バスケの県内強豪校から「特待生としてウチに来ないか」という声がかかりました。それで中学3年に上がってから、高校に練習を見に行ったのです。が、先輩たちの試合を見てショックを受けました。想像を超える身体能力でした。それで気が付いたんです。今まで自分がやってきたのは、単に身長が高いことを活かしてきただけだったと。バスケは元々激しいスポーツです。僕は背が高いだけで何でもできると思っていた、ただのお山の大将だったんですね。しかも、高校バスケで180cmは平均以下。それまでバスケで進学するつもりでしたから、勉強をしてなかったんです。結局、迷いに迷って「特待を受けるのをやめる」と決めたのは公立入試の直前でした。今更、公立入試を受ける気にもなれませんでした。「高校に行くのをやめる!」と両親に話した時は二人ともビックリしてました。そりゃ、そうですよね。特に父は中卒で社会に出ていますから、学歴のない辛さを身に染みてわかっています。僕が幼い頃から「いい大学へ行け」といつも言ってました。ですから、高校進学をやめると言った時はオヤジと殴り合いのケンカになりました。でもそのケンカで、親父も「こいつは本気だな」と思ってくれたようです。
■クラスメイトは全員高校へ進学。自分ひとりがアルバイト生活へ…。
「高校には行かない」というのを同級生の友だちに話したら、完全に変人扱いでした。「なんで行かんと?」「もったいない!」と。でも僕にしてみれば、高校=バスケでしたから、それがないのなら高校に行く意味が分からなかったんです。親父に「とにかく一度働いてみたい」というと、その答えは「じゃあ、うちの会社でバイトをしろ」というものでした。見知らぬところに入れるよりは良いだろうという考えだったようです。そして中学卒業と同時に親父の会社にアルバイトとして入りました。そして初めて、親父と同じ仕事をやってみたのです。親父からすれば、うちの仕事は相当きついから、根をあげて“やっぱり学校に行く”と言い出すのを期待していたのかもしれません。ところが僕からすると「悪くない!」と思える仕事でした。結局アルバイトとして2年間続けました。でも自分のなかでちょっと変化が出てきました。当時は下請けの仕事が多かったですから、法人のお客様と接することが多かったんです。そうすると相手は大学出身の方が多く、そういう人たちを相手にしていると、なんだか気おくれしてしまう自分がいることに気づきました。つまり学歴コンプレックスです。ちょうどその頃、癌を患っていた母が亡くなりました。いろんなことが変わり始めていました。最愛の母が亡くなったことや、やはり学校に行ってほしいという親父の願いもあり、“やっぱり学校に行こう”と決めました。
■専門学校へ進むも一年で中退。“何やってんだろう、俺”。
その頃、中学時代の友人は高校3年になっていました。今から高校に入り直すのも妙なコンプレックスを感じそうだったので、大検を取得してパソコン関係の専門学校に入学することにしました。その専門学校を選んだのは、入学試験が無かったことと、パソコンが好きだったこと、その程度の理由でした。とりあえず「専門学校卒」という肩書が欲しかっただけなんです。でも入ってみると、周りはコンピュータが好きでたまらない人たちが大勢いて、そんな人たちとは明らかに成績も違う。“この先の就職活動で、この人たちと競えるだろうか…”そう思いだしたらもうダメでした。それからは学校にもろくに行かず、髪は真っ白に染め、耳にはピアス。夜な夜な街に出かけては遊んでばかり。でも心の奥では、“何やってんだろう、俺。こんな生活はもうやめたい”-そう思っていました。結局、せっかく入った専門学校も一年ちょっとで辞めることにしました。
■再び家業に就く。そして親父の決意を聞いて目覚める。
そんな僕を見かねた親父が声を掛けてきました。「お前、うちに戻ってくるしかなかろうが」と。確かにそうでした。どう考えても自分の家の仕事をやるしかない。でも頭では分かっていても私の小さなプライドが邪魔して、すぐにはOKできませんでした。そんななか、以前のアルバイト先の飲食店で経験したことを思い出したんです。そのアルバイト先の先輩スタッフは、ある時グリストラップ清掃をしていたのですが、その仕事をするのが本当に嫌だったようで、すごくふてくされながらやっていたんです。確かに大抵の人が嫌がる仕事ですから、その先輩の態度も当然かもしれません。でも実は、僕にはそんなに嫌な仕事じゃなかったんです。汚いものを掃除して自分の手できれいにしていくのはそれだけでとても気持ち良いことでした。“そうか。同じ仕事でも人によって感じ方は違うのか…”。単純なことですけど、そう気づきました。そう考えたらちょっと吹っ切れた感じがして、家の仕事に戻る決心がついたんです。「もう一度やってみよう」と。
■自分みたいな若造を支えてくれた、古株の社員さん。
最初は一社員としてこの会社に入りました。が、僕の仕事ぶりをみていた親父は、後を継がせる決心をしたのでしょう。いつの間にか取締役の肩書を付けてくれました。そしてある日、社員全員がそろっている宴会の席で、“こいつに跡を継がせる”と発表しました。私がまだ二十歳そこそこの時でした。その時の私は「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。なぜなら私の会社には私が幼稚園の時からずっと親父を支えてくれていた社員さんがいたからです。私の親父と同世代の社員さんからしたら、ずっとフラフラしていた私が突然社長になっても、きっと納得しないだろうと思ったのです。でも、社長の発表を聞いているベテラン社員さんを横目でチラッとみたら、“そりゃ当然だ”というように深くうなずいていました。決して「仕方ないな」という表情ではなかったのです。その表情を見て、私の「本気スイッチ」が完全に入りました。
■会社代表を引き継いで、ようやく気づいた親父の偉大さ。
親父の仕事ぶりはバイト時代から目にしていましたが、“この人には敵わないな”と思うことがしょっちゅうありました。ある顧客先でのことです。打合せが終わって帰ろうとしたら、親父を見つけた現場スタッフの方が“ちょうど良かった。ちょっと見てくれんね”と言って、親父を厨房に連れていきました。グリストラップがちょっと目詰まりを起こしているようでした。親父はその時は背広姿だったのですが、すぐに上着を脱ぎ、袖をまくると、グリストラップのヘドロの中に手を突っ込みました。素手のままです。いくら仕事とはいえ、素手ではなかなかできません。よく“親父の背中を見て子どもは育つ”といいますが、まさにその通りです。仕事ばかりやっていてかまってくれない親父のことを、子どもの頃は嫌いでしたが今では本当に尊敬します。
■親父の教え-「身を落とせ」の真意。
私に会社を引き継いだ親父は、第一線を退きました。それからは仕事に関しては口出しをせず、私に任せてくれています。私も親父から教わったことをこれまで守ってやってきたし、これからもそうするつもりです。その教えのひとつに「人より身を落とせ」というのがあります。お客様のところを訪問するのに高級車を使う、高い腕時計やブランド服を身に着ける、それらはすべて不必要なことです。そして人より長く働け。これらのことすべてが「身を落とせ」という一言に集約されているのです。つまり、「質素倹約」ということですね。営業エリアも天神・博多とその周辺だけに絞っています。会社の規模をやたらと大きくする必要はないわけです。それよりも、この地域ともっと深く関わりながらやっていきたいです。今考えると、ランチェスター戦略そのものですね。
■回り道をして気づいたこと。「この仕事が僕の天職だ!」
童話「青い鳥」じゃないですけど、自分にピッタリの仕事は実は自分の親父の家業だった。それが分かった時は、なんだか目の前が開けたようでした。他の人にとっては、グリストラップ清掃は汚くて臭くて嫌な仕事だろうと思います。でも僕にとっては、ドロドロに汚れていたものが自分の手でみるみるキレイになっていくのを見るのは、本当に気持ち良いんです。バキューム車を使ってヘドロをズボボボボッ~!と吸い取る時なんか、まさに「快感!」ですよ(笑)。他の人にはなかなか分かってもらえないですけどね。
以上が、僕がこれまで辿ってきた道のりです。わずか30年足らずですが、かなり回り道をしてきたように思います。でもそのおかげで、自分にピッタリの仕事が見つかりました。グリストラップ等の排水設備は、電気やガス、水道と同じく、ビルや飲食店が営業をする上で絶対に欠かせないものです。これからも、排水設備の清掃メンテナンスに全力で取り組み、少しでもお客様の事業や社会に貢献できればと思っています。
長い話に最後までお付き合いいただいたことに感謝します。ありがとうございました。
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2011年11月1日 火曜日
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